大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福島地方裁判所 昭和25年(行)15号 判決

原告 真田三郎

被告 福島県知事

主文

被告が、昭和二十五年一月十八日した、原告及び福島県河沼郡柳津町大字大柳字中屋敷甲三十番地訴外佐藤正間の別紙目録記載の農地にかゝる賃貸借の解約許可申請に対する許可の処分は、これを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告は、主文と同旨の判決を求め、その請求原因として、

「原告の母訴外真田マツヨは、佐藤正の父訴外佐藤熊三から、その所有の別紙目録記載の農地を数十年来賃借し、原告と共に、これを耕作してきたところ、昭和二十年中、熊三から右農地の返還を要求されたので、同人を相手方として福島地方裁判所若松支部に対し、小作継続の調停を申立てた結果、同年五月七日開かれた同裁判所調停委員会において、熊三はマツヨに対し、引続き本件農地を賃貸するとの調停が成立した。その後、右賃貸借は、佐藤正及び原告に引継がれ、原告がこれを耕作してきたところ、正は、昭和二十四年七月十五日被告に対し、農地調整法第九条の規定に基いて、右賃貸借の解約許可を申請し、これに対し、被告は昭和二十五年一月十八日これを許可した。原告は、同年二月十日付柳津町農地委員会長からの通知で、右許可の処分があつたことを知つたのであるが、右処分は、農地調整法第九条第一項に定める要件を欠く違法のものであるから、その取消しを求める。」と述べ、

被告の主張事実を否認し、「原告方は、その世帯主である原告をはじめ、妻、母、妹(三人)、長男、姉の八人家族で、うち五人が農業に従事し、その耕作反別は、自作地が、田二反三畝十六歩(うち、五畝十二歩は現況原野であり、また、一畝十一歩は現況畑である。)、畑三反二畝十一歩(うち、一畝六歩は現況籔である。)であり、小作地が、田四反六畝二十二歩(本件農地四筆計一反三畝八歩を含む。)、畑三畝二十四歩であつて、これらの耕作による収益が唯一の生活資源で、その不足分は、日雇または炭焼夫などの収入で、これを補い、かろうじて最低の生活を維持している実状にあり本件農地四筆計一反三畝八歩を引上げられゝば、その生計の維持が困難になることが明らかである。これに反し、正方は、居町柳津町における屈指の資産家で、百数十町歩の山林を所有し、自作の田畑も相当あり、年間純益も莫大なもので、原告方のような貧農から、その生命線である本件農地を取上げる必要は少しもない。」と附陳した。(立証省略)

被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「原告主張の事実中、本件賃貸借がもと熊三とマツヨ間に結ばれていたのを、小作継続の調停成立後、正と原告にそれぞれ引継がれ、現に原告がこれを耕作していること、正から本件解約許可の申請をしたのに対し、被告が昭和二十五年一月十八日許可の処分をしたことは認めるが、右許可の処分が違法であるとの主張を否認する。被告は、次に述べる事情で解約の事由があると認めてこれを許可したものである。すなわち、

(一)  地元柳津町農地委員会が、小作関係の正確を期するため小作契約の成文化を勧める当局の方針に従つて、正及び原告に対しこれを勧めたところ、正は応諾の意向を示したが、原告やマツヨは、小作期間を永久無期限とか、百年乃至五十年とせよとか、無謀なことを述べ、右委員会が種々説得しても、これを白眼視して応じなかつたこと。

(二)  本件農地のうち、字三十刈甲六百四十四番、畑二畝二十三歩は、佐藤方が原告方に賃貸した当初、公簿上も現況も良田であつたがその後、洪水のためその用水路や畦畔などがこわれたので、佐藤方では、本来田圃の少い地方のことであり、わずかの労力と費用で修復することができるから、もとどおりの田に復旧するよう原告方に要望し、協力方も申出たが、原告は、ことさらこれを拒否し、復旧することなく畑として使用していること。

(三)  正が自己所有の原野を開墾して約二十坪の田をつくつたところ、附近の原告方の用水堀の堰が水害でこわれ、右開墾田の一部が決潰したので、正は原告に対し、わずかの労力と費用でできるから右の堰の位置を少し変更するよう、また資材は正方で負担し労力の点でも協力する、と懇願したが、原告は、これを拒むのみならず暴言を吐き、自己の田の放水口をことさら右開墾田に向けて不用水時に放流し、地元農地委員会のこれについての勧告に全然応じなかつたこと。

(四)  正方及び原告方は、ともに農業を営み、正方は資産家で財力においては原告方に優るが、原告方は、八人家族で、稼動人員三人、所有農地は、田二反七畝二歩、畑二反二畝二十八歩で、ほかに住宅、宅地を所有し、その耕作反別は、田六反五畝二十二歩、畑三反一畝二十四歩であるに対し、正方は、十一人家族で、稼動人員四人、所有農地は、田一町二反九畝二十七歩、畑一町一反十五歩ほかに山林六十一町歩余り、住宅、宅地を所有し、農馬一頭を有し、その耕作反別は、田七反五畝歩、畑一町歩であるから、営農状態において、正方は原告方より若干の余剰労力もあり、自家生産食糧は、原告方の方が正方よりも豊かで、かりに、本件農地四筆が原告から正に引上げられたとしても、その結果、原告方の相当な生活維持を脅かすようなことがないこと。

右(一)乃至(三)のようなあまりに信義に反する原告方の行為のあつたこと、(四)の点から本件農地は正方で自作させた方がより効率的であるとみられること、を綜合判断して、被告は本件解約許可の処分をしたもので、右処分は、正当であるから、原告の請求に応ずることはできない。」と述べた。(立証省略)

理由

本件農地は、数十年来、原告の母マツヨが佐藤熊三から賃借し、原告と共に耕作していたところ、昭和二十年五月七日福島地方裁判所若松支部調停委員会で態三は引続きマツヨに賃貸するとの調停が成立し、その後右賃貸借は熊三の子である佐藤正、マツヨの長男である原告にいずれも引継がれたこと、正が昭和二十四年七月十五日被告に対し、農地調整法第九条に基き、右賃貸借の解約許可を申請し、これに対し、被告が昭和二十五年一月十八日右解約を許可するとの処分をしたこと、は当事者間に争いがない。

そこで、正の右解約許可申請につき、被告の主張するような事由があるかどうか、以下順次判断する。

先ず、原告方に(一)、(二)、(三)のような信義違背行為があつたかどうか。

(一)  証人東五郎、佐藤正、真田マツヨ(一部)の各証言、原告本人尋問の結果によれば、昭和二十四年三、四月頃、地元柳津町農地委員会書記東五郎は、佐藤正及び、真田マツヨ、原告に対し、本件農地賃貸借を文書化させようと種々説得したが、賃貸借の存続期間の点について両者間に折れ合いがつかず、次いで、同年五月同委員会がこの問題を取上げ、両者に対し、一応十年間位の存続期間を定めて契約を成文化するようすゝめたところ、正はこれに応諾したが、原告方は百年乃至五十年の永久小作を主張して譲らなかつたため、遂に契約の文書化が実現しなかつたこと、が認められる。証人真田マツヨの証言中、右認定に反する部分は信用しない。被告は、右は原告の信義違背行為にあたると主張するが、成立に争いのない甲第一号証の一、二によれば、昭和二十年五月小作継続の調停が成立した矢先、正方では、原告方に対し、本件農地の返還請求訴訟を提起し、本件農地の引上げを強く求めていたことが認められるのであるから、原告方では、存続期間を十年と定めた場合、期間の経過と共に必然正方からこれが引渡を強要されるであろうと心配し、その結果、百年乃至五十年の長期間を主張したものと推認される。すなわち正方の前記訴訟の提起が、原告方の右長期間の主張を招来したものともいえるので、原告方で長期間を主張した一事をもつて、直ちに信義違背行為であるということはできない。

(二)  証人真田マツヨ、東五郎(一部)、佐藤正(一部)の各証言、原告本人尋問の結果によれば、本件農地中、字三十刈甲六百四十四番畑二畝二十三歩は、当初原告方で賃借した当時は、公簿上も現況も田で、用水樋を使用して潅漑していたが、原告が出征不在中(原告は昭和十八年出征し、同二十一年復員した。)、洪水のため右用水樋が流失し、潅漑ができなくなり、自然これを畑として耕作するようになつたので、正は、これに対し、用水樋を修復してもとの田にするよう申入れたが、原告方では、修復に要する費用も充分でなく、むしろ、畑として耕作した方がよいと考え、これに応じないで、今日まで畑として耕作していること、を認めることができる。証人東五郎、佐藤正の各証言中右認定に反する部分は信用できない。被告は、右の原告方の態度は信義に反すると主張する。なるほど、賃借人は賃貸人に対し、賃借の目的物の性質によつて定まつた用法に従つてこれを使用収益する義務を負うているから、一般に、田として賃借していながらこれを無断で畑にかえることが、右の義務に違反するものであることはいうまでもないが、本件の場合、原告方において畑として耕作するに至つたのは、その用水樋の流失による自然の結果であり、しかも、右流失は、不可抗力とみられる洪水の被害によるものであつて、特に原告方でもくろんで畑に転用したものではない。この点に関し被告は、前記の洪水による被害は、わずかな費用と労力で復旧可能の程度のものであり、かつ、正は原告方に対し、これが修復方を要望し、協力方を申出た旨主張し、右修復申入の点は、先きに認定したとおりであるが、証人東五郎、佐藤正の各証言中その余の点に副う部分は到底信用できない。そして、ほかに、必要とする右修復の程度が、賃借人である原告方の負う目的物保管義務の範囲内にあつたと認めるにたる資料がないから、原告方で修復しなかつたからとて、これをもつて原告の信義違背行為ということはできない。しかも原告方では、前記認定のとおり、水がこなくなつて、田として使用することができなくなつたため、これをそのまま畑として使用しただけであつて、多大の労力と費用を投じなければ、田に復元できないような変更を加えた形跡はなく、将来正方で必要とあれば、これを田に復元することは、さほど困難ではないと認められるのみではなく、正は、右事実を知りながら昭和二十四年五月ごろこれを引き続き十年間賃貸することを承諾したのであるから、同人は、暗黙の間に、右転用を容認したものと認められる。しかるに、同人が、同年七月本件解約許可申請にあたり、右事実をとらえて、原告の不信と主張したのは、こじつけに過ぎるうらみあるを免れがたく、(二)の主張も採用できない。

(三)  被告は、正が開墾した約二十坪の田が、附近の原告方の用水堰が水害で破損した結果、決潰したため、正は、原告方に対し、その善処協力方を申出たが、原告方では暴言を吐くのみで、これに応じないのみか、かえつて自己の田の放水口を右開墾田に向け放流し、地元農地委員会の善処勧告にも応じなかつた、との事実をあげ、右は、原告の信義違背行為にあたると主張するが、右主張事実にそう証人東五郎、佐藤正の各証言は、証人真田マツヨの証言、原告本人尋問の結果、当事者弁論の全趣旨に照らし、採用することができず、ほかに、右事実を認め、原告方に信義違背行為があつたと認めるにたる証拠はない。

次に、(四)の正方の自作を相当とするかどうかにつき判断する。

成立に争いのない乙第一、二号証、証人佐藤正、真田マツヨの各証言(各一部)、原告本人尋問の結果を綜合すれば、正方は、昭和二十五年頃、田一町二反九畝二十七歩、畑一町一反十五歩、山林六十一町七反一畝七歩、宅地千二百二十坪六合七勺、建物四百五十坪二合五勺を所有し、その税額は、事業税、住民税を合わせて、昭和二十三年度金一万七千百九十四円、同二十四年度金一万九千二百五十九円で、居町屈指の資産家であり、当時の耕作面積は、田七反五畝歩畑一町歩(いずれも自作)、その家族数は十一人で、うち稼動人員は四人、農業施設としては、農馬一頭発動機二台を所有し、供出米の数量は、昭和二十三年度、同二十四年度ともに各一石であつたこと、これに対し、原告方は、昭和二十五年頃、田二反七畝二歩、畑二反二畝二十八歩、宅地八十六坪二合二勺、建物二十五坪を所有し、山林はなく、その税額は、事務税、住民税を合わせて、昭和二十三年度金千二百四十三円、同二十四年度金千七百十八円で、耕作面積は、田六反五畝二十二歩(うち自作二反七畝二歩、小作三反八畝二十歩)、畑三反一畝二十四歩(うち自作二反二畝二十八歩、小作八畝二十六歩)、その家族数は八人で、うち稼動人員は五人の専業農家で、供出米の数量は、昭和二十三年度二石一斗七升、同二十四年度二石であり、右の耕作による収入だけでは、生活の資とするに充分でないため、原告はしばしば日雇をして収入をはかり、これを生計の足しにし、かろうじて暮をたてていること、が認められる。証人真田マツヨ、佐藤正の証言中、右認定に反する部分は信用できない。そこで、彼我比較検討するに、先ず、農業施設の点において正方が完備しているが、自家労力の点では、むしろ原告に余剰労力があり、自家生産食糧の点においては、証人東五郎の証言にみられるように、その家族数との割合からみればむしろ原告方が豊富であるけれども、本件農地を正方において自作した方が特にその生産力が増大するものとは考えられないし、さらに、両者の資産、税額などの点から見れば、正方は、経済的には遥かに原告方よりも優位にあり、本件農地を自作しなければ特に生計に困難をきたすものとは到底考えられないのに反し、原告方は、その余剰自家労力を日雇などにふりむけて収入を得て生計の不足分を補つている実情からみて、本件農地を引上げられることになれば、さらにその生計を貧困にみちびく結果になることが容易に推認される。そのような一切の事情を考えれば、本件が、正方の自作を相当とする場合に該当するものとはいえない。(証人佐藤正の同人方が飯米不足に困つているとの証言部分は、同人方が供出農家である事実に照らし、採用しない。)

以上のほか、本件農地賃貸借の解約につき、正当の事由があると認めるにたる資料は見当らない。

従つて、この点を看過してされた本件解約許可の処分は違法であるから、その取消を求める原告の本訴請求は正当であり、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 杉本正雄 松田延雄)

(目録省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例